■ 掛搭後の生活
新到が揃うと初めて師家に相見(しょうけん)します。この時、相見香という金子を包むのが習わしですが副随が用意してくれます。
老師の垂戒の間はずーーと低頭して聞きます。慣れている者は手巾を少し緩めておき、低頭と同時に腹の位置から胸の位置までずらしています。こうすると苦しくありません。
新到参堂(しんとうさんどう)という行事です。初めて禅堂の前門側にある正僧(しょうそう)文殊菩薩に拝をします。虎渓には禅堂が大小二つあります。普段雲水が使うのは大禅堂で獅子窟という名がついています。往時には百人近くの雲水が起居していた大禅堂ですから、文殊菩薩も高い位置に祀られています。
自分の座る単が決められます。座って半畳、寝て一畳の世界です。
日本一暑い多治見にありながら、木立に囲まれた大禅堂ですから夏は快適に過ごせます。涼しく快適な場所ですから、様々な生き物が涼を求めて侵入することもあります。
禅堂のすぐ脇には土岐川が流れています。坐禅中に聞こえる川の音はお釈迦様の説法の声です。林間から聞こえる小鳥のさえずりは観音様のお諭しの声です。
いよいよ入制です。入制とは様々な戒律や規則を守って修行する期間に入ることです。自坊荷担で帰っていた雲水も全員帰堂し、師家とともに一同に会します。
入制の反対は開制で、戒律や規則が、ある条件がそなわれば許される期間となります。
師家が修行の指針である「亀鑑」を読み上げます。「亀」は吉凶を占うもの、「鑑」は照らして物を見るものの意で、日常行動の基準となるものです。続いて修行する雲水の世話を行う常住(じょうじゅう)の諸役が告げられます。
師家とともに茶礼をして入制を迎えます。
茶礼後に新しく指名された知客(しか)が「常住規則」を読み上げます。
摂心中の起床風景です。柄杓一杯の水で口をすすぎ顔を洗います。摂心中には他寺への荷担はありませんから、これでも良いのです。ゆっくりと洗顔などする余裕はありません。
殿鐘の支度鐘が聞こえたら朝課出頭です。季節によって異なりますが、概ね午前3時~4時です。
禅堂の中では大急ぎで袈裟を着け、朝課出頭の準備をします。
時々あわてて衣を裏返しに着込んだり、袈裟を反対に着ける者がいて結構楽しめます。
古参の雲水が衣を裏返しに着たまま澄ました顔で朝課を読んでいる姿を想像してみてください。新到の場合は絡子を着けたまま袈裟を掛けるということを良くやります。
いずれにしても朝課は大声で読みます。そうでもしないと眠たくて仕方がありません。
朝課が終われば粥坐です。雲板を鳴らして出頭の合図をします。この雲板は粥坐と斎坐の時に鳴らされます。
本飯による粥坐風景です。飯台看と呼ばれる者が給仕をします。朝は熱い天井粥と梅干しだけです。
斎坐では一汁一菜が付きます。ご飯はお決まりの麦飯です。はっきり言って白米より高級ですし、どこかの寺で古々米を食べさせられても美味しくいただけるようになります。
粥坐の後は梅湯茶礼です。梅酢に砂糖を混ぜただけのものですが、これを飲むと体がビシッとしてきます。
喚鐘の時間はこのように順番待ちをしています。
喚鐘を2点鳴らしてから参禅に向かいます。
師家の前で参拝してから与えられた公案に答えます。この時、師家と雲水は真剣勝負をしているようなものです。
坐禅三昧の風景です。決してヤラセではありません。虎渓では昔から真剣に座ります。虎渓の場合は手で印を結びません。両手を組んで坐禅します。
規則正しい生活と、一汁一菜と麦飯だけのヘルシーな環境です。ダイエットを行うには絶好の機会かもしれません。
警策は授けるのも無心、受けるのも無心です。
法皷出頭。ほとんどの行事が大鐘支度で法皷出頭となります。虎渓僧堂での大鐘は山内全寺院を呼ぶためのものです。因みに永保寺以外の塔頭寺院には大鐘も法皷もありません。内緒ですがH院の住職は法皷を撃ったことが無いそうです。ところで東北の隅にあるのが法皷で西北の隅にあるのが茶皷ですから、虎渓は茶皷と言わねば変ですね。
講座が始まりました。師家が祖師の語録を読んで講話をします。開講の日には、塔頭寺院の和尚や一般在家の信者までもが聞きに来ます。
禅家での一番人気は碧巌録でしょうか。夢窓国師や仏徳禅師も愛読したと思います。講座を受け持つ師家は下調べが大変です。一方、師家の後ろに座る雲水といえば・・・・。
こちらは随飯(ずいはん)の風景です。飯台看の無い時は本飯の代わりにこのような随飯で食事を行います。
虎渓山の大鐘。寒風吹きすさぶ中で、朝晩の鐘撞きは本当につらいです。居眠りしたら下まで真っ逆さまです。ところで鐘楼に対峙して経蔵が造られるのですが、虎渓山では坐禅石の下に貧弱な経蔵があります。無いよりはましという程度の経蔵で、写経を納めています。
再び坐禅三昧。梵音岩の滝の音は700年前に夢窓国師が聴かれた仏の声と同じです。堂内に差し込む月明りは文殊菩薩の智慧でしょうか。遠くに聞こえる野猿(京都じゃないからそんなものいません)の遠吠えは普賢菩薩の励ましの声です。
経行(きんひん)。坐禅の途中に経行と言って少し足腰をのばすために外出します。普段は禅堂の中や境内の中を歩きますが、時には海外郊外へ出かけることもあります。
走り経行です。虎渓では昔から走り喚鐘や走り経行が行われています。朧八摂心では境内を走り回り、喚鐘でも我先にと走って行きます。昔は喚鐘が鳴らされると草刈り鎌や竹ぼうきを持ったまま走って行ったものだと古老から聞いています。近年ではチェンソーや草刈機のエンジン音をブイブイ響かせながら走って・・・なんてことは断じてありません。
喚鐘の間、自分の番が来るまで正座をしてじっと待ちます。坐禅ならまだしも、長時間の正座は堪えます。そこで走り喚鐘となるわけです。一刻も早く参禅して正座の時間を短くしようという魂胆です。
参禅する前には師家に向かって三拝します。足腰の運動にはちょうど良いので、しっかりやりましょう。姿形が良ければそれだけで公案が一つ透ったようなものです。逆に悪ければ、師家はチリチリーーンと鈴を鳴らして終わりです。とにかくカッコ良くやりましょう。
師家の前で与えられた公案を述べる間は低頭したままです。師家はいつ飛びかかられても良いように竹篦を握っています。ですから犬や猫が主人に服従するように、低い姿勢のままでいたほうが無難です。
役警が前に来て合掌したら有り難く警策を受けましょう。 警策とは警覚策励との意味で、修行者の精進を励ますことです。眠りをさまし、怠りを励ますために打つものと心得ましょう。
とは言っても、役警が下手な者だとたまりません。上手い者だと実に心地よいものです。
ところで冬場の役警ほど寒くて辛いものはありません。腰上げをして寒い禅堂の中をゆっくり歩くのですから、ずっと座っている方が温いに決まっています。時には役警の者に運動する機会を与えるような親切も必要です。
警策を受けた後はお互いに合掌して礼をします。ありがとうの気持ちを持つ必要がありません。ましてコノヤローと怒るものでもありません。お互いが無心である必要があり、お互いが無心になるための警策です。「松に古今の色無く、竹に上下の節あり」との禅語もあります。
茶礼。禅堂内での茶礼です。菓子とお茶が出ます。冬場に熱いアンマンが出てみたり、夏場に巨大な氷菓子が出てみたりします。熱いものや冷たいものに敏感な雲水にとっては地獄です。鈍感な者はあっという間に平らげ、繊細な感性の者はいつまでも食べられずにマゴマゴします。学歴や修行歴には全く関係なく、鈍感な者だけが勝者になって悦に入る時間です。
開枕(かいちん)です。毎晩行われる少し滑稽な行事です。 開枕諷経(かいちんふぎん)と呼ばれる読経の後、一斉に衣を脱ぎ、布団を延べて電気を消します。
お経が終わると同時に寝ていなくてはなりません。直日(じきじつ)が単から降り、警策を持ってちゃんと寝ているかを見回ります。まこまごしていると警策で叩かれてしまいます。
大衆が一斉に立ち上がり、一番奥の直日は単縁から降りようとしています。
古参の者はあっという間に衣を脱ぎ、単布団を片付けてから柏布団を敷きます。布団の中に入って目を閉じるまで僅か5秒の早業です。
慣れない者は柏布団を敷くことも出来ません。時には悪戯で柏布団が縛られていることもあり、焦れば焦るほど布団が敷けません。
このセレモニーを素早くこなすには特別な手巾の結び方があるのです。普通の結び方ではすぐに衣を脱げません。この時だけの特別な結び方を考案した人はすごいと思います。でもここでは教えません。教えたら、古参の者の楽しみが無くなります。
時には悪戯で柏布団を裏返しにして仕舞っておくとこのように白いシーツが表になった光景になります。このセレモニーが終われば消灯ですが、まだ寝ることはしません。だってまだ夜の9時ですから。
雲水は我先にと衣と単布団を持って禅堂から出てきます。行く先は禅堂の裏手、楓樹林に囲まれた涼しい場所です。(注:当たり前の事ですが冬は寒いです)
虎渓の雲水は、日中に作務を行い動中の工夫をしています。そして夜には夜坐をしています。静かな木立の中で静中の工夫をします。
夢窓国師は坐禅石の上で坐禅をされました。はっきり言って虎渓の坐禅石は眠ると死にます。それほど恐ろしい場所です。ここならば間違ってコケても擦り傷程度で終わります。賢明な雲水は坐禅石まで登る時間を惜しんで近場で坐禅をします。
四と九の付く日は「しくにち」と言って風呂に入れます。風呂に入るにもこのように合掌して三拝します。
ところでこんなに大勢が一緒に入るわけありません。念のため。
開浴場は三黙堂の一つですから私語は禁止です。祀られている跋陀婆羅菩薩と浴頭さんに拝をするのです。
注 : 浴頭さんは壁にぶら下がっている訳ではありません。薪で一生懸命風呂焚きをしていました・・・昔は。
今は一発点火!!
基本的には石けんを使いません。垢すりをします。・・・あくまでも基本的にはのことです。汗臭い不潔な雲水がウロウロしていては観光客や信者さん達はたまりません。雲水たるもの、いつも心身共に清浄でなければなりません。
検単(けんたん)と言って、時々指導の師家が禅堂の様子を見回ります。このような時に寝ていようものなら単縁から引きずり落とされてしまいます。
どうです。みんなしっかりと坐っているでしょう。写真撮影しているからビシッとしている訳ではありません。いつもこのようにビシッとしています。