■ 修行の為の庭園 「水月の道場に坐し空華の万行を修す」
 虎渓山は1313年、夢窓国師・仏徳禅師一行が禅修行の為に逗留されたことが始まりです。 多くの寺院が、豪族・権力者の菩提を弔うためや国家安泰を祈願するために建設されていますが、虎渓山は純粋に禅修行を行うために建てられました。夢窓国師を慕う修行者が自然と集まり、現在の姿となりましたが、ちょうどお釈迦様の時代に、雨の続く雨期に修行者達が一箇所に集まり、集団で修行するために建てられた祇園精舎と同じです。

 夢窓国師は虎渓山に来られる前には坐禅窟や自然の風景の中で修行されていましたが、虎渓山の地に来られてからは虎渓山特有の地形を巧みに利用し、禅修行のための庭園を造られるようになりました。そして多くの庭園に坐禅石を置かれましたが、そのルーツとも言えるのが左の坐禅石です。この坐禅石からの眺めは壮大で、小さな坐禅窟での閉鎖された修行環境とは全く異なった世界が現れます。

 庭園の中央に位置する臥龍池は別名心字池とも呼ばれますが、手前側を此岸に見立て、無際橋を渡って水月場(観音堂)のある岸を彼岸に見立てています。
 観光客が夕刻に帰った後の庭園は静まりかえり、梵音巌を流れ落ちる滝の音が心地よい響きを与えます。
「山花開いて錦に似たり 澗水たたえて藍の如し」
 「猿は子を抱いて青嶂の後に帰り、鳥は花をふくんで碧岩の前に落つ」
「落木千山天遠大 澄江一道月分明」などという禅語がありますが、まさにこのような情景を醸し出しています。 禅境を深めるには最高の環境と言えるのではないでしょうか。
「水月の道場に坐し空華の万行を修す」
この禅語は虎渓山の為にあるようにも思えます。
 七百年の年輪を刻むイチョウの大木は夢窓国師お手植えと言われています。多くの災禍に見舞われながら堂々とそびえています。 この地に根を下ろして以来、幾多の修行僧を励ましながら今日に至った老木です。
「古松は般若を談じ幽鳥は真如を弄す」という禅語がありますが、季節とともに姿を変えるこの老銀杏の大木も般若の智慧を語りかけてきます。
 隠寮裏にある五峰庵庭園は木立に囲まれ深い苔に覆われた一般非公開の庭園です。
この緑に包まれた庭園は、虎渓山で修行する者だけが佇むことのできる空間です。
「草色は青青として柳色は黄なり、桃花は歴乱として李花は香し」
 隠寮真裏にある高源室と五峰庵は渡り廊下で繋がっています。いずれも大きな草葺き屋根となっており、夏の暑さや冬の寒さを凌ぐことができます。この高源室の紅葉は見応えがあります。
「微風幽松を吹く、近く聴けば声いよいよ好し」
 虎渓山川に掛かる三笑橋より見た庭園です。中国廬山の麓にある虎渓の地での「虎渓三笑」説話に因んで造られた石橋です。 虎渓三笑とは廬山の東林寺で修行する慧遠は、客人の有名な道士陸修静と詩人陶淵明の2人を送り、談議に熱中のあまり俗界禁足の誓いを破って東林寺の下の虎渓を過ぎ、虎の鳴声で気づいて3人ともに大笑したというものです。庭園側からこの三笑橋を渡れば、ほんの数分で虎渓山頂に至り、市街地が広がっています。
 禅堂南の広大な楓樹林は瓦塀で区切られています。この写真は禅堂から眺めたもので、一般に公開されていない区域です。 雲水達はこの庭園の中で励まし合い、日夜坐禅を行っています。
「松に古今の色なく竹に上下の節あり」
 上写真の瓦塀の反対側。一般公開されている庭園です。塀の脇には白蓮池が配され、往時には白い蓮で覆われていました。
「寒雲、幽石を抱き霜月、清池を照らす」
 国宝開山堂(僊壺堂)脇を流れる桃源水。夢窓国師はこの脇に庵を結ばれました。 名勝庭園の西端に位置する区域で、鬱蒼とした木立に囲まれており、春から夏にかけては様々な野鳥が訪れる場所です。 この開山堂後ろから左手には虎渓山川が流れ、五老峰と呼ばれる急峻な山となっています。
 彼岸に見立てた観音堂周囲の庭園光景とはまるで違った雰囲気があり、なぜか鬼気迫った感じすら受け、雲水修行の厳しさを物語っているように思えます
「鳥啼いて人見えず、花落ちて木なお香し」
「風定まって花なお落ち、鳥鳴いて山更に幽なり」
 霊擁殿(六角堂)は梵音巌上に位置し、内部には千体地蔵が祀られています。虎渓山の本尊は観音堂の聖観世音菩薩ですが、古来の永保寺本堂本尊は地蔵菩薩でした。地蔵菩薩は僧形であり、釈迦の没後、弥勒出現までの無仏の時に世の救済をされ、地獄をはじめ六道を巡り、様々な姿になって人びとを救うと言われています。
 梵音巌上に点在する羅漢と釈迦・地蔵石像です。境内で修行する雲水と、参詣に訪れる善男善女に向かって手を合わせ、修行の成就を見守っています。
「一切の声これ仏の声、一切の色これ仏の色」
 虎渓山自然林より見た土岐川です。川の左手は庭園区域となり、禅堂はこの河岸にあります。右手は錦屏林と呼ばれる寺域です。
「渓声便ち是れ廣長舌、山色豈に清浄身に非ざらんや」
 上写真の下流(手前)で土岐川が幾度も屈曲します。写真は仏屈巌と呼ばれ、黄金の仏像が納められていると伝えられています。 比較的緩やかな流れと屈曲が造る淵は龍浮淵と呼ばれています。またこの付近は一般観光客の立ち入りが出来ないため、水鳥が多く生息しています。
「等閑に一釣を垂れて、碧潭の龍を驚起す」
 虎渓山頂に建立され、市街地を見下ろす白衣観音です。戦没者慰霊碑として建立されたもので、毎年5月8日には虎渓山主を導師として法要が行われます。
土岐川の川面を伝って市街にまで聞こえる虎渓山の暮鐘の音は、観音様のお諭しの声のように聞こえます。
 多くの禅語は中国の禅宗祖師によって作られ、語録に収められています。中国の地で禅語を思い起こすとその情景と禅語が非常に良くマッチしますが、残念ながら風土の異なる日本では違和感を覚えてしまうこともあります。 夢窓国師は中国に渡られたことはありませんが、その境涯の中で碧巌録の世界や禅語の境涯を良く虎渓山の地で具現化されているように思えます。禅宗初祖の達磨は崇山の洞穴で面壁され、夢窓国師も同じように常陸国臼庭にある海岸の坐禅窟で1305年に大悟されました。しかしそれが最も良い方法であれば各地に狭い洞穴を作られたことでしょう。その後甲斐国の龍山庵(浄居寺)に一時隠棲され、虎渓山を去られてからは石立て僧と呼ばれたように各地で庭園を構築されました。これは禅の修行は禅庭園の中で行うことが最も賢明な修行法であると言っておられるような気がします。
 禅の修行はどこにいてもできます。人里離れた山奥の道場でも、例え都会の中にある道場でも確固たる信念の基に修行すれば良いのです。しかし多くの雲水は限られた時間の中で修行を終え、第一線の禅僧として布教を行わねばなりません。限られた時間の中で修行を行うにはバランスの取れた環境も必要ではないでしょうか。
 雲水を志す人によっては、虎渓山の環境が非常に厳しく感じる方もおれば、逆に生ぬるく感じる方もおられることと思います。虎渓山での修行は、多くの信者と僧堂を取り巻く山内寺院と近郊寺院の僧侶によって補佐されています。決して快適な生活環境ではありませんが、修行の為に考え作り出された環境です。今、世間での非常識が集団生活の中では常識としてまかり通り、様々な問題が出ています。禅宗僧侶にとって世間の常識は当然ながら、僧侶としての資質の向上とともに禅者としての更に厳しい常識を持ち合わせる事ができるように修行されることが望まれます。